皆さんにとって「今日と変わらない明日が来ること」は幸せですか?それとも不幸せですか?
きっとこの問いの答えは、それぞれの方の置かれた環境や人生の価値観によって変わるものなのだと思います。
例えば、もし今あなたが恵まれない環境にいるのであれば、この問いの答えは恐らくNOだと思いますし、逆に恵まれてた環境にいたとしても、更なる自己実現のためにNOを選ぶ人もいるでしょう。
ではこの問いに一体どういう意味があるのか。
本記事の結論から先に言いますと、
この「今日と変わらない明日が来ることは幸せか」という問いから学び考えるべきことは、「安定」と「成長」は両立しないということです。
今日はこの問いについて深く考えてみようと思います。
- 「今日と変わらない明日が来る」とはどんな日々か
- 変化のない世界は果たして幸せか?それとも不幸せか?
- あなたにとって、今日と変わらない明日が来ることは幸せか?
- 現実世界では、変化しないなんてことはあり得ない
「今日と変わらない明日が来る」とはどんな日々か
初めに今回の問いの主語である「今日と変わらない明日」について、それが一体どういうものなのか考えてみます。
「今日と変わらない明日」とは「不変な毎日」ということであり、つまりは一切成長することのない日々が繰り返されるということを意味します。
一方で、不変ということは、良くなることもありませんが反対に悪くなるということもないということです。つまりは安定した日々であると言い換えることもできるでしょう。
昨日と同じようにご飯を食べ、昨日と同じように暮らし、昨日と同じように寝る。
これは一切の成長を失くした代わりに、変化することのない安定を得た日々であるということです。
変化のない世界は果たして幸せか?それとも不幸せか?
先ほど「今日と変わらない明日」とは「不変な毎日」であると言いました。では果たして不変な毎日は幸せなのでしょうか?それとも不幸せなのでしょうか?
この点について、この記事では人類の歴史になぞらえて考えてみたいと思います。
人類はこれまでの歴史の中で、「安定」と「成長」を交互に追求してきました。
「安定」を追求した最も顕著な例が「農耕」です。
農耕の以前、人類は狩猟採集を行ってきました。多少の食料保存はしていたかとは思いますが、概ねお腹が空いたときに狩りをするといった生活です。
狩猟時代はある意味で合理的なものでした。現代と同じように"必要なものを必要なときに消費する"という生活なのです。
しかしご存知の通り狩猟時代には大きな課題がありました。
そう「安定性」です。
狩猟時代の生活は、その日の天候など人間ではどうすることもできない要素に、その日の成果が依存していました。資源が豊富にあったときはそれでも何とかなっていましたが、人類が繁栄し食料となる動物が減ってくると、生活はさらに不安定になっていきました。
それを解決する手段が「農耕」でした。
「農耕」は、食糧問題という従来人間が制御不可能だった要素を制御可能なものとしました。それにより安定性は飛躍的に向上されました。こうして人類は、約1年間という周期で、同じ生活を送ることを実現したのです。
一方で「農耕」は「狩猟」と比べて成長したと言えるのでしょうか?
一説によると、狩猟時代の労働時間は1日あたり数時間、それに比べて農耕時代の労働時間は1日あたり半日程度だったというのです。
つまり労働時間という観点だけで見れば、「狩猟時代」よりもむしろ退化してしまっていたと考えることもできるかと思います。
すなわち人類という規模で見た時に、農耕への変化というものは、安定性を増す一方で、成長を阻害したともいえます。
あなたにとって、今日と変わらない明日が来ることは幸せか?
さて、それでは当初の論点である、変化のない世界は幸せか否かという話に戻りましょう。
これは思考実験ですので、皆さん一人ひとりが答えを考えるものです。
改めて冒頭の問いを繰り返させていただきます。
「皆さんにとって、今日と変わらない明日が来ることは幸せですか?」
現実世界では、変化しないなんてことはあり得ない
こんなことを言うと元も子もないのですが、現実世界では、変化しないということはあり得ません。これからも常に変化して行くでしょう。
それは「安定」よりも「成長」を望むという人が少なからず居るからです。
人類が農耕により食料問題を大幅に改善し、安定的に生活できるようになったのにも関わらず、戦争などのリスクある他者侵略を繰り返している事実が、それを物語ります。
さて、そんな不安定な世界で、
あなたはそれでも安定を望みますか?
それともリスクを取って成長することを望みますか?